2009年1月13日火曜日

Departure and Rebirth

松倉裕子さん、46歳。 彼女は、超人気レストランのママ。
気丈にも、二ヶ月前まで店に立っていた。
わたしは、生まれて初めて葬儀委員長になった。
多くの常連客から贈られた、たくさんの花で祭壇を飾った。
彼女の遺影を取り巻く、パワフルネームの数々。
せめて、彼女が寂しくないように。
五年半前に発病した彼女は、 あたしはいつ死ぬかわからないから、
ミカジョン、遺影にできる写真を撮って、
と、三年前、わたしに撮影をディレクションさせた。
それが、本当に使われる日がきてしまった。

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葬儀委員長は、石田純一さんとふたりで務めた。
彼は、古くからの常連で、彼女の店が有名になったのは、石田さんがきっかけだ。

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サマンサタバサの寺田社長が弔辞を。
とても丁寧なスピーチに心打たれた。
寺ちゃんとわたしが知り合ったのも、ママが紹介してくれたから。

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38歳のとき、四番目の子の妊娠がわかった夜、
レストランで乾杯をしてくれた。
そして、おいおい泣いてくれた。
わたしの身の上を思いやって。
子供は可愛いが、同時にわたしに降り掛かる重圧を、
真っ先に察してくれたのは、彼女だった。

「あたしも一緒に育てるから!! ミカジョン一緒にがんばろう!! 」

その半年後に彼女は発病した。
そして、その数ヶ月後に生まれた子を、
毎週泊まりに来させ、
彼女は自分の子のように愛した。

わたしの産んだ子供は、
彼女の子供でもあった。


わたしにできることは、
どのぐらい痛いか、苦しいか、辛いか、
話を聞いて、励まし続けることぐらいだった。

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わたしの弔辞の途中、
その子が泣き出した。

まだ5歳の人間にも、ちゃんと愛は伝わっていた。

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わたしたちの息子は、ずっと側に寄り添っているよ。 

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ムッシュかまやつさん、
B'zの松本さん、
布袋さん、
今井美樹さん、
森山良子さん、
かまやつたろうさん、
浜崎あゆみ、
GLAY、

常連のミュージシャンたちの曲を流した。
編集を引き受けてくれたのは、TERUだ。

多くの友人と、この店で結ばれた。
それは、すべてママの作ってくれた絆だ。

新年早々の葬儀は、この上なく荘厳だった。
参列者の全員が泣いた。
そして、それぞれが、多くを感じ、それぞれの人生に、多くを誓ったことだろう。

新しい年の仕事が始まり、日常が動き出す。
でも、心の中は寂しさに捕らわれた。
 
わたしは、自分で思ってた以上に、彼女のことが好きだったみたいだ。
ブログを書く気になど、到底なるわけもなく落ち込みは続いた。
仕事に行くだけで精一杯の、
あとは引きこもり・・・。







そうして、迎えた1月13日は、わたしの44歳の誕生日。
四年に一度の大パーティを企画していたんだった。 

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会場は、お台場のジョイポリス。


(写真)(写真) (写真) 


友達の友達は友達だから、
何人でも連れてきていいよ、という会にしたら、
500人ぐらい遊びにきてくれた。

会場のどこへ行っても、笑顔がいっぱい。
とても嬉しかった。
みなさん、なによりのお祝いをありがとう。

人生で得た、たくさんの絆を、
これからも大事にしていきたいと思う。
死んだときに、わたしが残せるものはなんだろうか。

彼女のぶんもがんばるぞ〜〜っっ!!!

遅ればせながら、ようやく新年に追いつきました。
今年もどうぞよろしくね。